絶望的な状況は、どうしようもなく、時間と共に生きるしかない②
続き
↓↓↓ これの続きです。
それからの事は津波のように次から次へと押し寄せ、流れに身を任せるしかなかったです。
まず、眼科受診。
眼圧がかなり悪い状況だと。このままではいけないと。
要は失明してしまうとの事。
妻ちゃんから、左目がほぼ見えていないと聞かされていた私は、ここでようやく実感します。
家族本人から聞いてはいましたが、やはり医者の言葉は重かったです・・・
眼科では簡易的なレーザー手術。これで眼圧が正常になればよかったんですが・・・
ダメでした。
そして大学病院を進められ、紹介状??とともに大学病院へ。
そして、通院とともに、緊急手術との事。両目とも手術必要との事。
この時期、赤ちゃんの面倒を看てもらう為、嫁ちゃんの両親が我が家に泊まり込んでくれていたので、非常に助かりました。
一人目ちゃんを預かってもらえてよかった。頭がパニックでした・・・・
そして、手術。かすかに中心視野が残っている右目からの選択。
医者からは状況が悪い左目からを進められていましたが、嫁ちゃんのナイス判断。
その後の左目の手術は時間を空けないといけないとの事で、状況が頭に入って来る時間が出来てきます。
嫁ちゃんは入院。私と子供二人と嫁の両親と家で過ごしました。
義両親のおかげで毎日面会にも行けました。(当時は新型コロナはまだいません)
面会時間ギリギリまでいつも病室にいました。
あとはぼんやりとした記憶ですが、病院から帰ってからの心境・・・・
家をローン組んで新築したばかり、将来の不安。
嫁ちゃんのどうなるかわからない状況。
仕事ができなくなる事も考えました。介護をするしかないのか・・と。
子供も小さい、20年近くは何とか収入を得ないといけない状況。
家事、育児。私がやるしかない・・・・(実際は嫁ちゃん、しっかりやってます!)
乳児の世話、保育園の事の分からない事だらけ・・・・
現状の仕事をどうすれば辞めずに給料をもらえるのか・・・
料理なんかできない・・・・
そして、病気は治らない。悪化していく。進行を防ぐしかない・・・
絶望でした。
酒に精神安定を頼りました。
ウイスキーをストレートで飲んでも物足りなかったです・・・
義父に叱られました。
「お前まで倒れたらこの子達はどうするんだ!!」
でも、隠れて酒を飲んでました・・・・
長いのでまた次回