絶望的な状況は、どうしようもなく、時間と共に生きるしかない
戦争が始まり、悲しい気分ですね。心臓の動脈が窄まる感じがします・・いやです。
戦地の方々の状況を考えると息苦しい・・・
でも個人にはどうする事も出来ないですね・・・
話は少し変わりますが、戦争以外でも現在進行形でどうしようもない状況の方もいると思います。
過去、私もそういった状況に陥りました。
家族の病気です。
でも今、生きていてよかったと実感できてます。家族みんな生きているからです!
誰かの役に立つかもしれないので、状況と経緯だけかいてみます!
家族の病気とは、愛する妻ちゃんの目の病気「緑内障」
緑内障とは視野が欠損し、二度と元に戻らない病気です。
日本人は割と多いようですが、老人病で、失明が先か、寿命を全うするのが先か、くらいの若い人には無縁な場合が多い病気のようです。
妻ちゃんは40歳で目の中心視野を失いました・・・
人の顔を認識しづらい
文字も読みづらい
運転不可
物を探せない・・・・・・
きりがなく不自由があります。
夫婦とも嫁ちゃんが若い時にその傾向があり、将来いつ不自由になってもおかしくない状況だとは認識していました。
ただ、覚悟はなく、まあ、大丈夫だろ・・・くらいの感覚でした。
状況が変わったのは、家を新築し、1年が過ぎたころ。
二人目を出産直後でした。
元々、目の病気の事を考えて出産は帝王切開予定。もちろん一人目も帝王切開。
しかし、二人目ちゃんは、おっちょこちょい・・・出てくる時期を2か月も早く勘違い💦
陣痛を感じた嫁ちゃんは急いで産婦人科に行くも急遽出産する事に。
早産の為、NICUという施設がある市民病院へ救急搬送💦💦
先生の判断により自然分娩の末、無事出産✨嫁ちゃんありがとう!!!!
幸せでした・・・・・・
それから約2か月後・・・・
「やばい。見えない。」
深夜の授乳をしながら嫁ちゃんが一言。 人生が変わった瞬間。
その時は仕事も忙しく、深夜に起こされた感じで真剣に受け止めなかったように記憶してます。
次の休みに眼科に行こうなどと話してましたが、いつもより嫁ちゃんの必死さが印象深かったです。
おそらく、視野を失った実感がきたんだろうかと・・・・
後から聞いた話によると失った視野の部分は、失った直後はピンク色に見えたとの事。
長いので、次へ